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涙の木浦(モッポ)はケナリ(レンギョウ)の天地

登録:2009-03-27 03:57

原文入力:2009-03-25午後10:09:34
春の花祭りを前に浮き立つ儒達山(ユダルサン)…日帝時代の痕跡残る旧市街地は映画の一場面

イ・ビョンハク記者

←木浦,南農路,国立海洋遺物展示館横の満開の梅。南農路は南画の大家、南農 許健の号を取って名付けた道だ。南農路には南農と彼の祖父である小癡 許維、父親の米山 許瑩の作品らが展示されている。

木浦,儒達山‘木浦の涙 歌碑’。スピーカーから木浦出身の歌手イ・ナンヨン(1916~1965)の哀切な歌声が果てることなく流れ出る。`木浦の涙'。くぐもった蓄音機の音の向こう側に暗鬱だった植民地時代の悲しみと恨が感じられる。木浦港を開港(1897年)して112年、4・8万歳運動の叫び声が響いて90年、悲しみも耐え圧迫にも耐え抜いた木浦港が再び春を迎えた。

4月3~5日 儒達山春の花祭り

儒達山一周道路周辺に咲くケナリ

儒達山の新春花祭りが始まった。椿は足許に赤い花を落とし始め、梅は真盛りで孤高な香りを漂わせている。儒達山は本来ケナリの山だ。指形の一等岩・二等岩を支えるように囲んだケナリが黄色い花のつぼみを開き始めた。桜も桃色のつぼみを出し始めた。3月末になれば山の斜面の大部分が黄色や白の花霞に包まれるはずだ。

儒達山 春の花の鑑賞ポイントは循環道路を走り、ケナリ・桜の花のドライブを楽しんだり、花の道を歩いて登り山の尾根が待鶴樓・タルソン閣・儒仙閣などから大きく開いた展望を鑑賞することだ。春風に吹かれながらすがすがしく眺望される町並みや港,海を見回すことができる。午砲臺(オポテ)や露積峰(ノジョクポン)の周辺まで上れば十分に市内を見下ろせる。儒達山一帯では4月3~5日には`儒達山春の花祭り’が繰り広げられる。花の道散策・花装り大会・花の歌公演,チョンミョン女子中高校から木浦駅まで行進する4・8万歳運動再現行事などが行われる。

←木浦総合水産市場の乾物商店に掲がった干したアカエイ

儒達山の花の道は自然に木浦旧都心部につながる。木浦旅行に欠かせない見どころは多くの近代史跡だ。木浦市内の繁華街は大きく儒達山周辺の旧市街地と、海辺を埋立て新しく開発した河堂(ハダン)新市街地に分かれる。旧市街地と儒達山麓の路地には文化財に登録された近代史跡が立ち並んでいる。近代文化遺産博物館で呼んでも差し支えない通りだ。路地ごとに並び建っている古い建物は‘映画撮影所'を彷彿とさせる。日帝収奪の代名詞だった東洋拓殖株式会社(現在は木浦近代歴史館)と昔の銀行の建物,日本人達が暮らした2階建て住宅と商店を見ることができる。日本式庭園(李勳東庭園)も残っている。

←水産市場の洪魚(エイの一種)専門店。黒山島産もありチリ産もある。

木浦近代歴史館の中には日本人らが闊歩した木浦旧市街や観光地の風景写真、逮捕された大韓独立軍と軍隊慰安婦たちに加えた日帝の蛮行を収めた写真などが展示されている。特に凄惨にじゅうりんされた幼い軍隊慰安婦たちの姿が収められた貴重な写真らは胸を締め付ける。

木浦市庁観光企画課チャン・イルレ氏は「旧日本人街の姿を見るために木浦を訪れる日本人観光客が着実に増加している」として「日帝蛮行写真が展示された近代歴史館も日本人が多く訪れる所」と話した。

日本人街というのは当時、儒達山東南側裾と海の間の儒達洞一帯の平地に碁盤式に作った通りを指す。当時、日帝は湖南平野の穀物を搬出するために湖南線鉄道を敷設し木浦港湾施設を拡充するなど、木浦を‘開発’した。その跡が儒達洞日本人街だ。儒達山裾の南東側の平坦な地域を日本人らが掌握することになり、韓国人たちは追い出され急斜面側を上らなければならなかった。

←天然記念物に指定予告されたカッパウィ.

儒達洞の格子状通りには日本人の住んでいた家が多数残っている。恥辱の歴史が宿った通りも、今は物静かに振り返らなければならない歴史学習場として近づいた。東洋拓殖株式会社,湖南銀行木浦支店,青年会館,陽洞教会など登録文化財に指定された建物だけで9ヶ所に達する。

暗鬱だった過去を後にして木浦旧市街地は最近‘光の街’に生まれ変わった。3年前木浦駅付近中央路五叉路一帯に様々なあかりを点した造形物を設置し派手な夜景をお披露目した。当初は毎晩火を点していたが、最近はエネルギー節約のために週末と休日の夜にだけ点灯する。木浦の夜景を海から鑑賞する遊覧船は毎日運航される。

←国立海洋遺物展示館の前に展示された大型の碇

子供同伴の家族旅行なら、南港付近のイバム山裾の南農路に引き返してみる必要がある。国立海洋遺物展示館・木浦自然博物館・南農記念館・生活陶磁博物館・文芸歴史館・木浦文学館など8ヶの大型文化芸術展示館が集まっている所だ。関心分野の展示館を訪ねて珍しい遺物と作品に会ってみよう。海洋遺物展示館・生活陶磁器博物館などは2009年末まで無料で開放されている。

展示館通りの終点で右側海辺に入れば、最近天然記念物に指定予告されたカッパウィ(冠岩・僧岩)にぶつかる。イバム山(カッパウィ山)をはじめとする海辺周辺の多くの岩が風化・海蝕作用で編み笠の形状をしている。住民たちはカッパウィが編み笠をかぶった僧に似ているとして‘僧岩’と呼んだ。カッパウィ近海上に水に浮く木橋を設置し、海側からカッパウィ正面の姿を鑑賞することができる。冠をかぶった二人が並んで座る姿だ。

←木浦,常楽洞の旧湖南銀行木浦支店建物(1929年建設・登録文化財29号)。湖南銀行は民族系資本で作られた金融機関だった。




木浦が誇る五種の味

近海に島が多い木浦には海産物も豊富だ。木浦住民たちが堂々と自慢する‘五種の味’全てが海産物だ。ホンタクソマブ(エイ)・ニベ・タコ・太刀魚・ワタリガニ和えものを‘木浦の5味’と呼ぶ。市内随所に各海産物を専門に扱う食堂が散在している。好みのあわせて選んでどうぞ。沿岸旅客船ターミナル付近に木浦総合水産市場と乾物市場があり、北港側には活魚刺身料理屋が並んでいる。

木浦旅行メモ

ホンタクソマブ 口に溶けるんだな、これが。

←ニベ魚卵

◎食べる所;木浦,玉岩洞の忍冬酒マウル本店(061-284-4068)はホンタクソマブとワタリガニ醤で有名だ。ホンオソマブ1万5千ウォン,ワタリガニ醤定食(カニの醤油づけ+ホンオソマブ) 4人前3万ウォン,アカエイ煮物1万ウォン,忍冬草でつくる忍冬酒5千~1万ウォン. 主人ウ・ジョンダン氏は一人で訪れるお客さんには食事代を受けとらず接待して送り出す場合が多い。万戸洞ヨンナン刺身屋(061-243-7311)は四季を通じてミンオ(ニベ)膾を出す店。ニベ魚卵(写真)・浮袋・骨のつみれ・皮も味わえる。2~3人前一皿で4万5千ウォン,汁一盃5千ウォン。温錦洞のソンギョンジュンチ刺身料理屋(061-242-5653)はチュンチ(ヒラ)刺身をはじめとして、多様な魚料理を出す食堂。ヒラ・マナガツオ・鱒(サッパ)刺身プチム(油で焼くこと)各々1人前8千ウォン,アサリ・太刀魚・アンコウ・ミル貝を焼いたり、汁ある。

◎泊まる所:河堂新市街地一帯に新しく建てたきれいなホテルとモーテルが集まっている。 モーテル1泊 2万5千~5万ウォン.

木浦=文・写真イ・ビョンハク記者leebh99@hani.co.kr

原文:https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/346250.html 訳J.S