原文入力:2012/01/26 22:49(2043字)
その日の夕方、村の会館でこの老人は最期の時間を過ごした
自分が死ねばこの無念を世の中が少しは分かってくれるだろう
←26日、韓国電力の高圧送電線建設反対と関連し、去る16日慶南(キョンナム)、密陽(ミリャン)で焼身自殺した故イ・チウ(74)氏の遺族たちが密陽市庁前の焼香所で記者会見を開き、責任と義務を蔑ろにした張本人を明明白白に明らかにしてくれと遺族の立場を明らかにしている。 写真は嗚咽している故人の息子(左側)と家族。 【ニューシス】
74才のイ・チウ氏と73才のイ・サンウ氏は慶南、密陽市、山外面、希谷里のポラ村で生まれ育った兄弟だ。 兄はすらりとした背丈で義理があり、弟は勤勉で抜けたところがなかった。 兄弟が作ってきた畑10マチギ(1マチギは200坪)は坪当たり20万ウォンで市価4億ウォンの値をつける土地で、90歳になる老母を見守って暮らす二人の兄弟の希望だった。 ところが2005年、新古里(シンゴリ)原子力発電所で生産された電力を首都圏に送る76万5000ボルトの送電塔工事計画が発表された。 畑のまん中に高さ100メートルに及ぶ巨大な鉄塔が建てられることになった。
このおぞましい高圧電流の下で農作業をするのは想像すらできない、彼らは土地から追い出されることになった。 補償金は6000万ウォン、不動産価値は‘ゼロ’になってしまった。 69本の鉄塔が通る密陽地域5面の該当住民たちの事情は大概そうであったし、彼らの暮らしは去る6年間の争いで破綻した。 市価8億8000万ウォンの農地の上を通る送電線に対する地上権を30年間賃貸する条件で受け取る補償金はわずか680万ウォン、不動産価値はやはり‘ゼロ’になった。 銀行では担保物として価値を認めなかったし、農協は貸出金の償還圧迫を加えてきた。 密陽市長オム・ヨンスと地域の国会議員チョ・ヘジンは初めは一緒に戦ってくれそうだったが、いつのまにか何も言わなくなった。上京闘争、野宿闘争、断食闘争、討論会と公聴会、6年間にしてみなかったことはなかったが、実際に工事が強行された時に彼らができたことと言えば体で外注ガードマンと機械に対抗するしかなかった。 膝が良くない老人たちが這うようにして山道を登り下りすれば、彼らの激烈な抵抗に苦しめられた若いガードマンは‘おいで、おいで’といいながら老人たちをばかにした。 一日中、木を抱きしめ伐木を阻みもした。 生活がめちゃくちゃになった。 夜明けに山に登り目覚めゆく市内の灯火を見ながら彼らは孤独だった。 この国が誰の国なのか、私たちがなぜこういう苦痛を味あわなければならないのか。 村ごとに‘誰か一人が死ねばこの事態が解決するだろう’という声が広まった。
1月16日午前4時、イ・チウ、イ・サンウ兄弟の畑に外注ガードマン50人と掘削機が押しかけた。若いガードマンは老人たちを公然と罵った。 女ガードマンは老婆に悪口を言った。 明け方4時から一日中、畑で零下の寒さと孫のようなガキたちの悪口に耐えて一進一退の争いをし、夕方になって退勤するガードマンは明日また来るからなと言った。 イ・チウ老人は絶望した。 明日もまた今日のような一日を過ごさなければならないとは。 ‘私が死ぬしかない。あの掘削機に火をつけて、自分も死のう。’弟と住民たちは止めた。 ガソリンのタンクをひったくり土地に撒いた。 その日の夕方、村の会館でイ・チウ老人は最期の時間を過ごした。 自分が死ねばこの無念を世の中が少しは分かってくれるだろう、明け方、全村の老人たちが2交代3交代で山に登ってガードマンや機械に対抗し、多くの写真を撮られて告訴告発に性暴行まで加えられるこの無間地獄を抜け出すことができるだろう、そして弟と私が作ってきたこの畑10マチギも守れるだろう。 村の会館で全身にガソリンを浴びたイ・チウ老人はポラ村の入り口の橋の上でからだに火をつけた。
←イ・ゲサム慶南、密陽、密城高教師
74才のイ・チウ老人はこのようにして亡くなった。 炭の塊になった老人の遺体は龍山惨事の犠牲者がそうであるように、今冷凍庫にある。この死の前で責任を感じなければならない人々が少しでも懺悔しているという話は聞こえてこない。零下10度前後の真冬の世の中は電気がふんだんに使われているが、しかしその電気がどこから来たのか、どんな地獄道を経て来たかを問う人もいない。おぞましい国家暴力と市民の無関心。‘安楽のための全体主義’の隙間でもがいた一人の罪なき老人の炭のようになった遺体を眺めて私は涙が止まらない。
イ・ゲサム慶南、密陽、密城高教師
原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/516195.html 訳J.S