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「尹錫悦王国」夢想…布告令とノ・サンウォン手帳からみた内乱の実体

登録:2025-12-02 08:04 修正:2025-12-02 09:25
内乱365日 
内乱後、国会とメディア「捕縛」し反対派は「回収」
戒厳司令部布告令(第1号)//ハンギョレ新聞社

 2024年12月3日午後10時23分、尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領(当時)は対国民緊急談話で、1979年以来歴史に封印されていた非常戒厳を宣布した。4分あまりの談話で彼は、非常戒厳は「自由大韓民国を守るための避けられない措置」だとして、救国のための決断だと強弁した。午後11時をもって「戒厳司令部布告令(1号)」が発令された。タイトルを含めて464文字からなる布告令は、内乱勢力がその日以降、韓国社会をどのように破壊しようとしていたのかを推し量る端緒となる。国会の迅速な戒厳解除議決、市民の断固たる抵抗、抗命による処罰の恐れがあっても消極的に動いた軍人たちの対応がなかったら、憲政秩序の破壊と民主主義の崩壊、基本権の重大な侵害が起きていたのは明らかだった。恐ろしい想像だ。

内乱365日//ハンギョレ新聞社

■国会解散と不正選挙ねつ造

 布告令の第1項は「国会と地方議会、政党の活動と政治的結社、集会、デモなどの一切の政治活動を禁じる」であった。1980年の5・17非常戒厳拡大時にも「政治活動」は包括的に禁止されはしたが、国会、政党、地方議会の活動まで細かく特定して制限されてはいない。

 尹錫悦発の布告令に「国会と政党の活動禁止」が打ち出されたのは、2022年5月の政権発足当初から始まっていた巨大野党との激しい対立が反映された結果だとみられる。尹前大統領は野党による争点立法の強行、政府高官の弾劾、特検法の処理などを激しく非難してきた。非常戒厳を発令しても、それを解除する権限を持つのは国会のみだったため、絶対に無力化すべき機関はあらかじめ決まっていたのだ。

 内乱勢力は単に国会の採決の妨害のみを試みたわけではない。政治家ら主要な10人あまりの人物の逮捕・拘禁計画まで立て、実行に移した。キム・ヨンヒョン前国防部長官から逮捕者リストを受け取ったヨ・インヒョン前国軍防諜司令官は、防諜司令部、警察、国防部調査本部の捜査官による「反国家勢力合同逮捕班」の設置にあたった。警棒、手錠、捕縄、結束ベルトの入ったリュックを背負った防諜司令部の49人の捜査官は5人1組になり、それぞれ割り当てられた政治家を逮捕するために国会に向けて出動した。戒厳解除決議が差し迫ると、彼らの目標は「ウ・ウォンシク、李在明(イ・ジェミョン)、ハン・ドンフンが目に入ったら逮捕する」に変わった。彼らが国会に向かっている間に、防諜司令部の要請を受けた国防部調査本部は、首都圏内の未決収容室の現状を把握したうえで、未決収容者の移監準備まで済ませていた。法務部矯正本部もまた、首都圏内の拘置所の収容余力が3600人ほどあることを確認していた。

 「本会議場に行って4人で1人ずつ担いで出てこいと言え」。国会議員たちが戒厳解除を議決するために続々と集まっていることを受け、尹錫悦前大統領はイ・ジヌ前首都防衛司令官にそう指示した。防諜司の逮捕班を除くと、当時国会に出動していた特戦司の要員は466人、捜査官は212人。国会本会議場に集まった議員は190人だったから、4人1組で議決定足数150人の議員を引きずり出すことは十分に可能だった。

 戒厳軍は内乱の夜に選挙管理委員会にも出動した。妄想に陥った内乱勢力は、自分たちが政治的に守勢に追い込まれたのは不正選挙のせいだと確信しており、非常戒厳を宣布してそれを確認しようとした。ノ・サンウォン元情報司令官を筆頭とした「第2捜査団」は12月4日、夜が明け次第、中央選挙管理委員会に出勤する30人あまりの職員をケーブルタイで捕縛し、顔に覆面をかぶせてから、首防司のバンカーへと移送しようとしていた。彼らを脅すアルミニウム製の野球バット、アイマスク、縄、押し切り型の紙切断機が用意された。ノ元司令官は戒厳宣布前から「ノ・テアク(中央選挙管理委員長)は私が処理する」と大口をたたいていた。場合によっては彼らは、拷問と苛酷行為によって選管職員から不正選挙を自白させ、選管が不正選挙を企画したと発表していた可能性が高い。

■検閲の時代、奪われた広場

 布告令の第2、3項では「フェイクニュース、世論操作、虚偽扇動」を禁止しており、「すべての報道機関と出版は、戒厳司令部の統制を受ける」と述べている。非常戒厳当日の夜、ソウル西大門区(ソデムング)所在でキム・オジュン氏が運営する民間のリサーチ専門機関「世論調査コッ」には、100人の戒厳軍(特戦司72人、防諜司28人)の出動指示が下されていた。内乱勢力は世論調査コッを「フェイクニュース、世論操作、虚偽扇動の核心」と考えていたとみられる。ハンギョレ、京郷新聞、文化放送(MBC)、JTBCは、4日午前0時に警察が襲う計画だった。イ・サンミン前行政安全部長官は12月3日午後11時37分ごろにホ・ソッコン前消防庁長に電話し、「24時に警察がハンギョレなど5カ所に投入される予定で、警察から電気と水の供給を断つよう要請が来たら消防庁で措置してやれ」と述べた。警察が掌握する前に、政府に批判的な報道機関の報道機能を無力化せよという指示だった。物理的に掌握された報道機関には戒厳軍が検閲官として常駐し、報道を規制していたことだろう。「選管委による不正選挙確認」などのねつ造された事件を特筆大書するには、言論・出版に対する検閲は必要不可欠だった。

 布告令の第4項は「社会の混乱を助長するストライキ、サボタージュ、集会行為を禁じる」としている。ヨ前司令官が国家情報院のホン・ジャンウォン元第1次長に読み上げた「逮捕者リスト」には、民主労総のヤン・ギョンス委員長も含まれていた。内乱勢力は労働組合に反国家団体のレッテルを貼り、あらゆる集会とデモを禁止していたことだろう。政治的危機のたびに民主主義の熱気が噴出した広場は、サラン第一教会のチョン・グァンフン牧師やチョン・ハンギル氏らの遊び場になっていたに違いない。

■尹錫悦長期政権を夢想か

 尹前大統領は内乱が失敗に終わると「警告し訴えるための戒厳」だったと主張し、内乱の中枢勢力らも構想していた未来については口を閉ざした。ただし、捜査の過程で確保されたいくつかの証拠によって、内乱後の世の中は推定しうる。チェ・サンモク前企画財政部長官が戒厳当日に尹前大統領から受け取った指示文書には、「国家非常立法機関に関する予算を編成せよ」との内容が記されていた。全斗煥(チョン・ドゥファン)新軍部が5・17戒厳令で国会を解散させた後に設置した国家保衛立法会議のような機関だ。

尹錫悦前大統領が昨年12月3日夜、緊急の対国民談話を発表している。尹前大統領は「憲政秩序のために非常戒厳を宣布する」と述べた=シン・ソヨン記者//ハンギョレ新聞社

 「陰の内乱企画者」といわれるノ元司令官が2023年10月ごろから作成していたと推定される70ページの手帳には、非常戒厳後の政局構想が記されている。彼の手帳には「次期大統領選挙に備え、すべての左派勢力を崩壊させる」という文章が目標のように記されているうえ、「事後の国会・政治改革」案として、民意の管理を1年程度▽憲法改正(再選~3選)▽国家安全管理法制定▽選挙制度の改善などが書かれていた。改憲によって大統領単任制条項を改め、長期政権を夢想していたと考えられる。

 内乱勢力は自分たちに敵対する人々を左派、または反国家団体と規定していた。ノ・サンウォン手帳は彼らを「回収対象」と表現しており、処理方法も記していた。手帳には、一般哨戒(GOP)船上で射殺▽延坪島(ヨンピョンド)などの無人島に移動させ爆破▽北朝鮮にだ捕される直前に撃沈などの構想が記されている。延坪島への移送については「民間の大型船舶」などを用い、「実尾島(シルミド)下車後、移動中に適切な場所で爆破」と記されている。GOP上での処理方法としては「収容施設の火災爆破」、「外部浸透後に一斉射殺(手りゅう弾など)」などが列挙されている。布告令違反者、逮捕対象者を収容施設に収監する過程で、海上で様々な方法で爆死させるという構想だった。12月3日夜の内乱勢力の逮捕者リストに名があるのは、李在明大統領、ウ・ウォンシク国会議長、国民の力のハン・ドンフン前代表、ヤン・ギョンス委員長のほか、キム・ミンソク首相、祖国革新党のチョ・グク代表、イ・ハギョン国会副議長、パク・チャンデ議員、ヤン・ジョンチョル元民主研究院長、タンジ日報のキム・オジュン総帥、キム・ミョンス前最高裁判所長官、クォン・スニル元最高裁判事、チョ・ヘジュ元中央選挙管理委員会常任委員、ろうそく行動のキム・ミヌン代表だった。ノ・サンウォン手帳には他にも、民主党の政治家だけでなく作家のユ・シミンさん、タレントのキム・ジェドンさん、元サッカー選手のチャ・ボムグンさんら多くの名前が登場する。内乱が成功し、非常戒厳が維持され、抵抗が激しくなって布告令違反者が増えれば、収容所に入れられた罪のない市民は、ノ・サンウォン手帳に記されていたやり方で処理されていた可能性が高い。

カン・ジェグ記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/1232083.html韓国語原文入力:2025-12-01 06:00
訳D.K

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