原文入力:2009-05-22午前08:20:07
クォン・ウンジュン記者
←あるポータルサイトの衛星写真で見た伝統石造物博物館工事現場. 山腹を削り白く見える博物館の場所が青い森と対比をなしている。 グラフィック ホン・ジョンギル記者jonggeel@hani.co.kr
文化財+グリーンベルト+軍事保護区域に縛られた土地
‘友人イ・ミョンバク’ ソウル市長の時、各種規制を解いて
山麓・樹木を取り除き大規模伝統石造物博物館建設
開発許された周辺土地も高価で売り飛ばし
ソウル,北岳山はその一帯が国家指定文化財だ。朝鮮の首都である漢陽の主山としてソウル城郭などの文化財があり朝鮮の正規の宮である慶北宮の後園という文化財的価値のために文化財に指定された。
ところが、この文化財の北岳山麓、ソウル,城北区,城北洞330-1番地一帯では最近、山腹を削る工事が進行の真っ最中だ。1万2000㎡規模のセジュン文化財団のセジュン伝統石造物博物館工事が昨年11月から始まった。セジュン文化財団代表のチョン・シニル セジュンナモ旅行会長が20年以上にわたって集めてきたという文人石,チャンスン(木像),石灯など伝統石造物を展示する私立博物館を作っているのだ。城北洞のチョン会長の自宅付近に作る伝統石造物博物館は地下3階地上1階規模で今年末に完工予定だ。文化財保護区域にグリーンベルト,軍事施設保護区域など規制が折り重なるこちらの山腹を切り開きどうして博物館が入ることができたのだろうか? セジュン文化財団は博物館など公共施設をグリーンベルトに作れるように法規が変わった後、2001年から許認可官庁の門を叩いて2009年1月最終事業許可を得た。土地買い入れ後25年ぶりであり、許認可申請に9年もかかった。チョン会長はまた敷地だったが自然景観地域として住宅新築が不許可になった土地の一部もソウル市条例変更で売却することができるようになり、相当な経済的利益をおさめた。チョン会長の事業手腕と財産運がどうなのか、城北洞土地運用でもよくわかる。チョン会長はこの頃、世論の注目をあびている。パク・ヨンチャ ロビー疑惑事件に関連した ‘現政権の実力者企業家’ という事実のためだ。城北洞伝統石像物博物館に世人の関心がさらに傾くのはこういう理由からだ。チョン会長が代表であるセジュン文化財団が城北洞の自宅付近に新しく建てる伝統石像物博物館の迂余曲折した推進過程を調べた。
北岳山岩盤を削って建てられる石の博物館
←北岳山岩盤を削って建てられる石の博物館
チョン会長はこの土地を1984年9月に大韓教育保険株式会社から買いとった。2万6324㎡の土地は1982年半分程度が公園に指定され、半分は一戸建て住宅を作ることができる1種用地に指定された。チョン会長は公園に指定された330-1番地の所有権を1986年9月セジュン文化財団に移転した。公園でない用地に指定された半分の土地は330-543番地などに分割されたが、543番地は後ほど330-600,601,602に分筆した。だが家を建てることができる用地でも北岳山公園を挟まれている自然景観地域なので住宅新築は最近まで不許可になってきた。そこで330-1番地など公園地域の地価はソウル最高の富村である城北洞とはあ思えないような坪当たり22万ウォン(2008年公示地価基準)に過ぎなかった。
セジュン文化財団は2000年頃グリーンベルトに公園,博物館が入る場合に許可が可能なように規定が緩和されるや、城北洞330-1番地などに博物館を建設する計画を立て2001年からソウル市に公園審議を要請した。図らずもチョン会長の懇意な友人であるイ・ミョンバク大統領が2002年6月ソウル市長に当選し、セジュン文化財団の博物館建設計画はその年12月展示場を地下に作り環境き損を最小化する条件で承認された。
3ヶ月後の2003年3月ソウル市はこの地域を博物館用地のそばにある寺の名前を取って正法寺地区に指定した。ソウル市はこの地域7800㎡に石の博物館と野外展示場を作ると発表した。当時ソウル市は正法寺地区の核心であるこの博物館を民間資本誘致を通じて作ると付け加えた。
イ・ミョンバク ソウル市長当選後に開発計画許可
このように公園地区に指定されれば開発制限区域と軍事保護区域などの各種規制が少し簡単に解ける。ソウル市青い都市局関係者は「市民のための公園地区に指定されたので郡と国土海洋部の各種規制が解け建設行為を少し容易にできることになった」と説明した。すでに2000年京畿道龍仁に1万8000㎡規模の伝統石像物博物館をお披露目していたチョン会長は自宅がある城北洞に同様の規模の博物館を作ることができるようになったのだ。
ところで市の許可を受けた博物館建設計画は審議過程で絡まった。ソウル市公園造成計画を審議・決定する都市公園委員会が反対したためだ。山林がよく保存された自然景観地域なのに加え、傾斜が30度に達するこちらに博物館を建てることが自然を傷つける恐れがあるという指摘だった。当時、都市公園委員会委員だった要人は「誰の土地かは分からなかったが山の中腹に博物館を作るのは欲ばりすぎというのが委員会の大半の意見だった。展示室内部構造図は博物館というよりは社宅を連想させた」と記憶した。
結局、都市公園委員会は2006年5月地下4階,地上1階延面積2433㎡で山の相当部分を削るセジュン文化財団の計画案を差し戻した。代わりに都市公園委員会は稜線き損を最小化するように伝統石像物博物館を研究棟と展示棟に分けて作るようにした。
しかしセジュン文化財団はこの決定から20余日後の5月末に研究棟と展示棟を一つの棟に合わせた修正計画案を再び委員会に提出し一ヶ月後の6月末に条件付き許可を勝ち取ることに成功した。可決された案は延面積2430㎡で当初案と大同小異だ。2棟に分ければ展示空間をきちんと作ることができないというセジュン文化財団主張がわずか20日後に再び受け入れられたのだ。
審査の度ごとに自然き損の指摘受けて
すべての行政手続きを終えたと思ったセジュン文化財団の博物館建設は再度伏兵に出会った。伝統石像物博物館の場所が国家文化財に指定されたのだ。文化財庁は2007年3月、北岳山一帯を重要文化財に指定し、伝統石像物博物館予定地である城北洞330-1番地なども白岳山(北岳山の旧名)文化遺跡に編入された。文化財地域に編入されれば文化財に最大限被害を与えないために建設行為に対する現状変更許可を得なければならない。
文化財庁はソウル市都市公園委員会が定めたセジュン文化財団の伝統石像物博物館建設計画を差し戻した。当時、現状変更審査を行った文化財庁関係者は「博物館が北岳山を傷つけるという指摘があり通過が保留された」と話した。当時委員たちはこちらに博物館を作るのは問題があるとし、城北洞現場を直接訪ねて行ったりもしたという。結局、文化財庁は2007年7月の土地を掘り博物館を作った後に再び土を被せ木を植えて山の稜線を生かすというセジュン文化財団の修正案を条件付き可決した。北岳山を削って建てるセジュン文化財団の伝統石像物博物館はこのように審議過程のあちこちで自然破壊が憂慮されるという指摘を受けた。
結局、城北区庁は昨年11月に事業計画を認可し、セジュン文化財団は文化財である北岳山を削る工事を始めた。城北区庁が最終告示した北岳都心公園の面積は1万2040㎡で、当初ソウル市が発表した7800㎡の1.5倍規模に大きくなった。セジュン文化財団はグリーンベルトき損代価として開発き損負担金4億6738万ウォンを国土海洋部に払った。
文化財庁は伝統石像物博物館の現状変更許可を出し、自然地形き損を最小化し重要樹種は保存したりリサイクルしなければならないという条件を付けた。しかし現在工事が進行されている城北洞330-1番地現場に行ってみれば、山腹を削り出している姿が見られる。この工事に嘆願と関連情報提供が絶えないのもそのためだ。ソウル市関係者は「初期工事で山を削るが建物の屋根と壁に土を積み木を植える予定」と説明した。
セジュン文化財団関係者は「9年に渡って許可を受ける過程で何の違反も脱法もなかった」と話した。彼はイ大統領がソウル市長である時に許可がおりたことに対しても「ソウル市長が推したってしかたがない。グリーンベルトに博物館を作るのがこれほど難しいと分かっていれば始めもしなかっただろう」と強調した。
今年5月からグリーンベルトへの博物館不許可に
20年余り森だった博物館用地の地価は坪当たり20万ウォンに過ぎなかったが、開発可能なすぐそばの番地の地価は坪当たり700万ウォン台である点を考慮すれば、博物館を作るということだがセジュン文化財団がグリーンベルト開発で得た財産上の利益は少なくない規模と推定される。これと共にチョン会長は博物館を作る土地ではなく他の用地に分類された残りの土地を昨年相当部分売却したことが確認された。チョン会長所有のこれらの土地はグリーンベルトではなくとも自然景観地域および軍事施設保護区域に縛られていて開発の難しかった土地だ。チョン会長が買い入れ20年余ぶりに売ったこの土地には大使官邸など高級住宅が建てられた。
自然景観地区であったこの土地に住宅が建てられた理由は、ソウル市が2008年公園地域と隣接した自然景観地域での住宅新築規制を緩和したためだ。おかげでこちらの地価は坪当たり700万~800万ウォンに肉迫する。実際、チョン会長は330-1番地から分筆された330-600,602番地を2008年末に各々11億5000万ウォン,12億ウォンで売り渡した。
最近、国土海洋部は開発制限区域内に博物館など12ヶ施設の建設を禁止すると明らかにした。国土海洋部のこういう決定は私設博物館をはじめとして公共庁舎,科学館,体育施設などによるグリーンベルトき損が深刻だとみて今後これ以上の建設を許可しないという意志だ。2001年から始まったセジュン文化財団の博物館建設は開いた口が塞がらないタイミングに行われたわけだ。
クォン・ウンジュン記者details@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/newspickup_section/356118.html 訳J.S