多くの人たちは、大統領自身が犯した「セルフクーデター」を懲らしめるための弾劾が国会で可決され、ただちに現職大統領の職務停止が成立し、動けなくなるだろうと安易に考えている。しかし、韓国国民の基本権を正面から踏みにじって否定し破壊してきた大統領の非常戒厳宣布の致命的な結果を経験してきた人たちは、それほど単純には今回の国家の危難を理解できない。
1つ目に、第22代大韓民国大統領は、今でも自分が犯した刑法第87条違反の容疑者だという厳然たる事実関係を全面的に否定している。生涯にわたり犯罪の捜査だけを職業としてきた法曹人が、自分自身は適法だと信じている限り、この国難は円満かつ平和に解決はなかなかできないだろう。12日の大統領談話は、よくみられる犯罪者の犯行否定発言に似ているともいえる。
2つ目に、3日の非常戒厳宣言と4日の非常戒厳解除の談話にもかかわらず、大統領は長官辞任の裁可、「真実・和解のための過去事整理委員会」の委員長任命の裁可、長官の後任人選など、固有の職務を遂行している。特に7日の談話で明言した政治的責任を回避することに汲々としている。
3つ目に、現在の国政責任者は、今回の非常戒厳が共謀者だった前国防部長官の話のように「衆寡不敵」(敵の多さに比べて味方の不足で勝ち目がないこと)で失敗したとしても、決して失敗を恐れない経歴の持ち主だ。司法試験に9回も落ちたにも関わらず、挑戦そして挑戦を通じ、失敗を克服した。このような人生経験は、現在のような人生最大の危機の局面でも、無謀な挑戦をふたたび敢行する余地が残っているとみなさなければならない。
4つ目に、歴史的にみると、大統領は非常大権を連続して何度も断行してきた。李承晩(イ・スンマン)大統領は任期中に合計10回も戒厳を発動した。このうち、最初の2回は戒厳法もない状態で、麗水(ヨス)、順天(スンチョン)、済州(チェジュ)地域に戒厳を宣言した。そして、朝鮮戦争中だけで6回も戒厳を宣言した。それだけでなく、李承晩大統領は1960年4月19日、一日のあいだに2回戒厳令を下し、大統領による選挙不正の責任を追及する抗議の行列を軍隊の銃刀で押さえ込んだ。最初は4時間、その次は51日間の戒厳を維持した。戒厳は決して1回では終わらない。
5つ目に、崔圭夏(チェ・ギュハ)大統領も非常戒厳を2回発令した。1回目は、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領がクーデターの同志であり自分の部下だった中央情報部部長の銃弾で倒れ、戒厳を宣布した。この渦中に、全斗煥(チョン・ドゥファン)や盧泰愚(ノ・テウ)などの政治軍人は、同年12月12日に軍事クーデターを起こして成功し、翌年5月17日に大統領を脅して非常戒厳を全国に広げることによって、多段階戒厳を施行した。戒厳が実施中だったにもかかわらず戒厳司令官を逮捕して大統領に圧力をかけ、非常戒厳の全国拡大を押し切るなど、常に戒厳は力を持つ者によって繰り返されうるというのが、歴史的な正確さだ。したがって私たちは、今回の18回目の戒厳宣言が1回で終わるとみる短絡的な考えは手放すべきだ。
主権者は二度と戒厳宣布に萎縮したりあきらめたりしないだろう。主権者の委任を受けた国会議員は、憲法機関として自分に任された憲法上の責務を尽くさなければならない。1つ目に、3日に宣言された違憲・違法・不法な非常戒厳宣布と、解除後に執行された大統領職務について、すべて取り消す措置が必要だ。なぜならば、内乱の首魁という法律違反者の不法行為を正当かつ適法な行政行為だとは容認できないためだ。したがって、真実和解委員長の任命裁可など、高位公職者の人事措置はすべて源泉無効であるため、取り消されるべきだ。2つ目に、国会で弾劾議決が可決されたとしても、憲法裁判所で罷免決定が下されなければ、大統領は職務に戻り、ふたたび非常識な方式で大統領の権力を誤用して乱用しうる。よりいっそう危険な事態の勃発に、積極的に対処する必要がある。3つ目に、現在の難局によって起きている不確実性を、より透明で公正かつ予測可能なものに変える粘り強い民主的回復力を発揮するためには、主権者全員が力をひとつに集中させなければならない。
ホ・サンス|真実・和解のための過去事整理委員会委員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )