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[徐京植コラム]世界も日本も…崩壊過程に立ち会う日々ー2021年の年頭に

登録:2021-01-23 09:52 修正:2021-01-23 10:09
この言葉がどれほどの人に共感されるかについては楽観できない。というのも、「ナチズム」「ホロコースト」といった尺度が崩壊し、「ナチスのようだ」という比喩が有効性を失った現実を見せつけられているからだ。いま「まるでアイヒマンだ」と批判されて恥じ入る人がどれくらいいるだろうか。
靉光の代表作「眼のある風景」1938年、キャンバス油彩、102.0×193.5㎝、東京国立近代美術館所蔵//ハンギョレ新聞社

 「ああ、崩れてしまった」「このように崩れていくのだ」そんなことを思う毎日である。世界全体でも日本でも、今まで辛うじて保たれてきたものが、堤防が決壊したように崩れていく過程に自分が立ち会っているという気がする。

 日本社会のあらゆる局面において崩壊現象が露呈した。政府が完全にコントロールを失っている。さらなる爆発的感染の危機が現実化しており、医療関係者たちは「医療崩壊」(医療壊滅というものもいる)を前に悲鳴を上げている。にもかかわらず、政府は空疎な精神論を繰り返すばかりだ。

 安倍前首相は自身の政治的腐敗疑惑について「責任を痛感する」と口先では言いながら、責任を秘書に押しつけ、証拠資料の提出は拒否、しかも「説明責任は果たした」と胸を張っている。後継の菅首相が就任早々にやったことは日本学術会議の会員6名に対する任命拒否である。今に至るも政府は任命拒否の理由の説明は拒絶したままだ。これは学術に対する無知や蔑視の現れであるばかりでなく、問答無用の強権政治を行うと宣言しているに等しい。コロナ対策においても、一方で多額の国費を投じて旅行や外食を振興する政策に固執する一方、感染者数が増加し始めると「ステイホーム」とか「自粛」とかを訴え始める。すでに病院はほとんど満床となり、自宅待機中に死亡する人たちも出始めた。

 社会の全域で何かが急速に崩壊している。その何かとは、端的には、福祉や保健制度、教育制度を含む戦後日本の民主主義制度を指すが、より深く考えてみると、その前提に存在しているはずの(そう想定されている)事実に対する実証、言葉への信頼が崩壊し、知性と理性が崩壊したのだ。したがって事実認識と論理の共有が土台となる対話や議論自体が崩壊しているのである。日本社会は嘘やごまかしが恥ずかしげもなく横行する社会、対話や議論の成立しないディストピアになりつつある。

 昨年末には東京の渋谷区ではバス停で夜を明かしていたホームレス女性が、「目障りだ」という理由でいきなり近所の男に撲殺された。調べてみると所持金は8円だった。大阪では高齢と中年の母娘がひっそりと餓死しているのが発見された。冷蔵庫は空っぽで、水道やガスは止められていた。二人の所持金は合わせて13円しかなかったという。このようなニュースが、さしたる驚きもなく流通している。社会的弱者はますます追い詰められ見殺しにされている。

 日本では昨日(1月15日)、最初の新型コロナ感染者が確認されてからちょうど1年が経った。この間の日本の累計感染者数は30万人を超え、死亡者数は4千人を超えた。今後ますます増えていくだろう。

 今からおよそ9カ月前、コロナ禍が本格化しはじめた頃、私はこの欄に「死の勝利」という一文を寄せ、次のように書いた。

 「『大災厄』というのは疫病だけを指しているのではない、この混乱の中から自己中心主義と不寛容の気分が蔓延し、ファシズムが台頭するといった事態を指している。疫病や自然災害によって人間は生活や命を奪われるが、実のところは、人間は人間によって殺されるのだ。」

 非常に残念なことだが、この予感は今までのところ的中しているようだ。そのことを見せつけたのが、アメリカ大統領選挙をめぐる騒乱である。選挙で民主党バイデン候補が辛うじてトランプ再選を阻止したが、トランプは敗北を受け入れず、悪あがきを続けている。それを米国民の半数近くが支持しているのだ。しかも、カルトまがいの陰謀論を拡散させながら。異様なことに、日本でも陰謀論を信奉するトランプ支持者は予想外に多い。

 こういう状況で、権力が利用しようとするのは「差別」であり「戦争」である。事実、トランプは大統領の椅子にしがみつくため、他国(例えばイラン)への軍事攻撃オプションを側近に持ちかけ、諌められて思いとどまったという。1月6日には議会にトランプ支持者のモッブ(ならず者)が乱入し、合計5名の死者が出るという前代未聞の事態も起こった。これからも政権移譲まで、あるいはその後も、何が起こるか予断を許さない。

 昨年11月27日のこの欄に、私は「米国の『断末魔』は続く」と書いた。「トランプの」ではなく、「米国の断末魔」である。「米国は分断され衰退の道を着実に転落しつつある。だが、この断末魔はまだ長く続き、多くの腐敗と破壊を重ね甚大な損傷を人類社会に与えるだろう」

 長期的にみて米国が衰退し自壊すること自体は悪いことではないが、その過程でどれだけ多くの人々が「断末魔」の犠牲にされるかを想像せずにはいられない。ここで崩壊しつつあるのは、たんに「米国の民主主義」ではない。もっと根本的なもの、第二次世界大戦の終戦以降、きわめて不十分であれ、また旧植民地諸民族にとっては受け入れがたい内容を包含するものであったとは言え、とにもかくにも人権や民主主義といった普遍的な価値は、誰しも公然と無視することのできない共通の尺度と認められてきた(「世界人権宣言」1948)。それから70年余りが経過した現在、そういう基本的な尺度そのものが崩壊しつつあるように見える。

 米大統領選挙をめぐるこの間の混乱について多くのニュースを見たが、私にとって興味深かったのは、アーノルド・シュワルツェネッガー氏が投稿した動画である(1月11日AFP)。同氏は、トランプ大統領の支持者らによる議会乱入を、1938年にドイツで起きたナチスによるユダヤ人への迫害「水晶の夜」にたとえ、「6日は、ここ米国にとっての『水晶の日』だった」と厳しい表情で述べた。1947年にオーストリアで生まれた同氏は、「私は、歴史上最も邪悪な政権に参加した罪悪感を酒で紛らそうとする壊れた男たちに囲まれて育った」として、「つらい記憶なので、あまり公にしたことはないが、私の父は週に1~2回は酔っ払って帰宅し、叫び声を上げては私たちを殴り、母親はおびえていた」と語っている。私自身は同氏のファンでも政治的な支持者でもないが、ここには自己告白を伴う正直な思いが読み取れる。崩壊しつつある「尺度」が氏においてまだ生きていることがわかる。

 ただし、この思い、この言葉がどれほどの人に共感されるかについては楽観できない。というのも、「ナチズム」「ホロコースト」といった尺度が崩壊し、「ナチスのようだ」という比喩が有効性を失った現実を見せつけられているからだ。いま「まるでアイヒマンだ」と批判されて恥じ入る人がどれくらいいるだろうか。

 2021年の年頭を迎え、私が皆さんに紹介したい絵は、日本の画家・靉光(あいみつ)の代表作「眼のある風景」(図)である。1938年に描かれた。盧溝橋事件と南京大虐殺の翌年、国家総動員法が制定された年、ドイツで「クリスタルナハト(水晶の夜)」が起きた年である。靉光は他の多くの画家たちとは異なり、戦争画を描かなかった。44年に召集され1兵卒として中国大陸へと送られた。中国大陸の武昌で敗戦を迎えたが、アメーバー赤痢に罹患し、胸膜炎とマラリアまで併発して敗戦5カ月後、帰国できないまま戦地の兵站病院で死亡した。敗戦後であるにもかかわらず戦中の軍の秩序が温存されていたその病院で、上官の反感を買い、「絶食療法」という名目で餓死させられたのである。『眼のある風景』の中央に光る眼は、そのような無残な未来をも見通しているかのようだ。

 今学期の自分の授業で、この作品を学生たちに紹介したところ、例年とは異なる手応えがあった。現在という時代の不安に満ちた空気が、およそ80年の時を隔てて、学生たちの感受性に働きかけたのであろう。今学期をもって私は勤務先を定年退職する。最後の授業をこのように終えることになった。「尺度」の再建に取り組んでいくつもりだが、それができなくても、せめてこの「眼」のように、ことの成り行きを最後まで見届けたいと思っている。

//ハンギョレ新聞社

徐京植(ソ・ギョンシク)|東京経済大学教授 (お問い合わせ japan@hani.co.kr)

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/979789.html韓国語原文入力:2021-01-22 02:42
訳C.M

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