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[編集者が選んだステディーセラー]人間的な、すぐれて人間的なチョン・ヤギョン

登録:2013-10-13 20:47 修正:2014-09-03 16:27
島流し先から送った手紙
丁若鏞著、パク・ソンム編訳 創批編集(1991)
ヨム・ジョンソン 創批編集局長

 私たちの時代に茶山(タサン)丁若鏞(チョン・ヤギョン)ほどあまねく愛される歴史的知識人はいないだろう。 茶山は誰がなんと言おうが偉大な学者だ。 実学を集大成した彼が生前に著述した本だけでも500冊を越え、やはり朝鮮知識界のレジェンド級大家であるキム・ジョンヒをしても「あえて茶山の世界を論評できない」と言わしめるほどであった。 従ってここで改めて彼の学問的偉大性を再論する必要はない。 ただ一冊の本を通じて彼の人間的な姿を覗き見るだけだ。

 正祖の寵愛を一身に受けた丁若鏞が、天主教に対する大弾圧である辛酉士禍にかかわって大逆罪人になってしまったのは齢四十のことだった。 三番目の兄 チョン・ヤクチョンと姪婿のファン・サヨンは処刑され、彼は二番目の兄チョン・ヤクジョンと共に流刑に処される。 ここまでなれば一族は粉々に砕ける筈だ。 当時、西学は朝鮮の支配秩序と価値観を根こそぎ覆す反逆的な思想だった。 根を抜いて土まで払いのけなくてはならない不穏な理念だった。

 暗鬱この上ない田舎で、いつ終わるとも知れない島流し生活を始めたチョン・ヤギョンの心はどれほど苦しかっただろうか。 彼は本を読み著述を通じて時間を耐え抜いた。 自ら述懐したように昼夜分かたず著述に没頭したせいで左腕が麻痺し廃人になったほどと言う。 彼はこのような渦中にも二人の息子と二番目の兄、そして弟子に手紙を送ることを怠らなかった。

 その手紙等を集めたこの本には、何よりも生活人としてのチョン・ヤギョンの容貌がよくあらわれている。 息子には本を編集し各章を構成する方法だけでなく、野菜を植え冬葵を採る方法、養鶏の方法のような園芸と農作業の知識を語っている。 黒山島(フクサンド)で孤独に流配中ゆえに健康が心配な二番目の兄には島で野良犬を捕まえる方法と犬肉をゆでて薬味を漬ける方法まで詳細に手紙に書き送る。 弟子に送った手紙では、貧しい知識人が生きていく道は果物と野菜を育てることだとし、これを通じて年に銅銭50貫と20貫を得られると話す。 さらに桑の木まで植えて養蚕をするならばさらに30貫を得られるが、無官の知識人が年に100貫の銭があれば飢えと寒さを免じるに充分だと弟子に話す。 このような内容を読んでみるならば、不思議とドストエフスキーの小説で生活苦に悩むロシア下層民が月給30ルーブルとか1年分の年金が120ルーブルと言いながら、がむしゃらに暮らしをつくりあげる場面が重なって見える。 そのためにこの本は妙に滑稽で悲しくもおもしろい。 このような生活人の姿から読み取れる凄然さや気立ての優しさのようなものがこの本が愛される秘密だと私は思う。

 かつて茶山の文の中から、美しい手紙文等を選び出し翻訳して<島流し先から送った手紙>という本にまとめて出した編訳者はパク・ソンムだ。 彼がこの本を出すやいなや朴正熙政権が幕を下ろし、まもなく80年光州(クァンジュ)抗争が起きる。 編訳者自身が手配犯になり結局獄中生活を過ごす。 この本はその後、刑務所という現代版島流し先で幽閉された数多くの民主人士の必読書になった。 今は中高等学校と公共図書館の推奨図書になって読まれている。 これもまた歴史のアイロニーに違いない。 歴史は容赦ないながらも寛大なのだ。

ヨム・ジョンソン創批編集局長

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/606855.html 韓国語原文入力:2013/10/13 19:55
訳J.S(1558字)