原文入力:2012/08/23 18:21(3194字)
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
人間を人間、すなわち社会的な存在たらしめる一義的な記標体系(ユリ・ロトマン 先生の定義)は言語です。しかし、階級社会では人間の総体的な存在がその階級的な位置によって左右されるだけに、その一義的な記標体系も常に階級的です。いかなる階級社会であれ、上流層の言語は「古典的」で「文化的」で文語により近い反面、被支配層の言語は文語の標準からはややかけ離れています。文化的に周辺部的な社会の場合は、支配者たちは例外なく「中央/文明」の言語を使います。朝鮮半島南半部の支配者たちは順に漢文、日本語、英語を支配言語として駆使してきましたが(開化期に生まれ南韓時代まで影響力を及ぼした李丙燾のような勢力家知識人は漢文、日本語、英語のいずれにも堪能でしたが、こうした例は少なくありませんでした)。このことは、たとえばロシアの歴史にもそのまま当てはまります。1812年の露仏戦争の際にかなりのロシア軍将校たちが卒兵たちの誤射撃で死んだのですが、その理由はなんと、彼らが常に互いに当時の貴族たちの国際語であるフランス語を使っていたからです。実際、ロシアの歴史上、「主導層」になる資格から「国際語」の駆使が抜けた唯一無二の時期はすなわちソ連時代でした。後にも先にもなかったことですが、労動者出身のソ連の指導者たちの多く(スターリン、フルシチョフ、ブレジネフ等々)はいかなる外国語も話せませんでした。まあ、今なら独裁者のプーチンはヨーロッパ資本の言語であるドイツ語を母国語以上に駆使できるし、彼のパシリであるメドヴェージェフは国際資本の言語である英語を母国語以上に話せるなど、再び階級社会の「正常」な状態に舞い戻ってしまいました。主人たちの言語と民たちの言語は再び離れてしまいましたね。
韓国やロシアの事情は特殊というより普遍的なものにすぎません。ヨーロッパを一度旅行なさればお気付きだろうと思いますが、国際的な支配者たちの言語である英語の駆使力はちょうど個人/当該国の序列的な位置と一致します。フランスのような国民国家の枠が極めて強いやや例外的な場合などはあるものの、大体どこに行っても金融街や(高級)学術の言語は英語です(ドイツも一時例外だったものの、今はそちらでもたとえば学者たちの間では「英語の論文」が流行っています)。英語のできない高級政治家や官僚を、ヨーロッパで見つけることはなかなか難しいです。ところが、資本蓄積の中心であるドイツ、オランダ、そしてスカンジナビア諸国の住民たちが英語が比較的上手なのとは対蹠的に、準周辺部に当たる南欧では一般住民たちの英語力は世界体制における位置が類似している南韓とあまり差がないか、もっと下手です。もちろん英語は唯一絶対の支配言語ではありません。アフリカ西部(セネガルなど)の支配者たちの言語は仏語であり、東欧の場合は英語とドイツ語は同等に支配言語の位置を占めています(とはいえ、ドイツ語に比べて英語の位置はやや高い方です)。しかし戦後アメリカの影響力が絶対的だった日・韓では英語に立ち向かう「ライバル」が現われるのは簡単ではなさそうです。最近、日本より南韓の、特に中産階層の下部と中部で中国語力が英語力に劣らず重要な就職の条件になっているものの、支配層は「英語独裁」に100%忠実で、その傾向は学界にもそのまま投影され、英語本位の「エリート」学界は次第に被支配層にはまったく理解できない異質な領域になりつつあります。
では、こんな世の中で海外で朝鮮語を教えている私の同僚たちの実質的な役割は何でしょうか。私は最近約7年間、朝鮮語を教えていませんが、私の弟子や同僚たちがロシアやノルウェーの高校などでこの仕事をやっているので、一応考えざるを得ない領域です。韓国の支配層が朝鮮語を蔑んでなるべく使わないようにしている以上、英語力の強い欧米圏の中心部(英米、ドイツ、オランダ等々)で朝鮮学を勉強している私の弟子たちが国内に行くとしても、おそらく朝鮮語は「補助手段」として利用するのみとみなければなりません。研究のために文献を読み、様々な現地調査をする際に必要で、市場へ行って何かを買うためには必要になるかもしれませんが、たとえば韓国の大学に就職すれば、先ずは「英語論文の生産」に動員されることでしょう。当然「英語講義」を任されるはずです。そのため、彼らには読解や日常会話は重要であっても、私がソ連時代末期に熱心にやった作文の演習を、支配者的な位置にいる彼らはあまりやらなくても済みます。どうせ南韓では学界の「エリート」らが最早学術語としての朝鮮語を育てるつもりはないからです。
では、生まれつき支配者の列に加わることが遥かに難しい東南アジア人や南アジア人、東欧人などの朝鮮語の勉強の場合はどうでしょうか。「ネイティブ」が優先される南韓社会では、彼らは学界や財界などの特権的な「場」に入ることは難しく、最もうまくいったところで三星やLGで非正規(契約職)の技術者になるだけでしょう(実際、三星国の領土ともいえる水原(スウォン)の霊通(ヨントン)地区に行けば、ロシア人やインド人の技術者たちにたくさん会えます)。もちろんほとんどはそれすらもできず、ただ南韓社会の周辺部で搾取されながら彷徨っています。彼らがまだ朝鮮語を使うしかない、すなわち「英語貴族」の列に加わることのできない中産層や下流層を主に相対さなければならないために、当然朝鮮語の勉強に遥かに多くの力を注がなければならないでしょう。問題はただ一つ。彼らがどんなにがんばっても彼らの朝鮮語はいつも最後まで「非標準的な朝鮮語」であり続けるという点です。いくら長く居住しても、非ネイティブである以上、「完璧な国語」はできるはずもありません。ところが、白人は「アンニョンハシムニカ?」と言っただけでも、「まあ、韓国語がお上手ですね」と直ちに褒められますが、タイ人やインド人はちょっとした間違いをしても笑われるのがおちです。欧米圏の白人の駆使する朝鮮語は「お偉い方が卑しい国語まで少し習ってくれた恩恵」ですが、「東南アジアの子供たち」が「国語」を話すということは、「まあ、貧しく原始的なため、韓流や高賃金を慕ってやってきて、私たちにくっ付いた」と考えられたりします。むしろ「東南アジアの子供たち」が朝鮮語を話せることは「東南アジアの子供」の卑しさと原始性の反証に見えさえしたりします。「豊かな国の人」が国内の上流層も最近はあまり使わない朝鮮語をどうして習うでしょうか。
朝鮮語を駆使する世界体制の周辺部出身は、むしろ上手になればなるほど南朝鮮にさらに疎外感を覚えるはずであり、上手になればなるほどそれが彼の「劣等性」の証拠に映るでしょう。彼は南朝鮮で広義の「植民地民」になるしかありません。これが空間的にも言語的にも序列化されたこの狂った世界の論理です。そのため、ロシアやインドのような周辺部的な社会で朝鮮学をなさるみなさんは、先ずは学生たちに南韓社会の属性に関する率直な話を初めから伝え、差別と排除に反対する南韓の進歩勢力と手を取り合うことを勧めるのがよさそうです。人種差別、出身国差別に反対する階級勢力が存在しない限り、南韓は外国の貧乏人にとってはただ鉄格子のない監獄にすぎないのです。
原文: http://blog.hani.co.kr/gategateparagate/51705 訳J.S