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[徐京植の日本通信] 李相和(イ・サンファ)の‘奪われた野’と福島

登録:2012-02-10 10:09 修正:2013-01-17 16:08

原文入力:2012/02/09 19:47(2661字)

徐京植(ソ・ギョンシク)の日本通信

放射能被害は未来の数世代にかけて健康と生活に決定的な損傷を負わせ続けるだろう。 そうであれば現在も植民地支配による損傷が朝鮮民族全体の生活に決定的な影響を及ぼし続けている事実と共通点があると言える。

←徐京植 東京経済大教授

 写真作家チョン・ジュハ氏から連絡が来て新宿で夕食を共にした。彼は福島地域を歩き回り撮影した後で東京にきた。 翌日ソウルに行くのだ。

"この時計、まだ動いています。電池が残っているのか、あるいは誰かがゼンマイを巻いたのか…"

そう言いながら彼は写真を一枚(写真)見せてくれた。福島県、南相馬市の老人ホーム(シルバータウン)の壁に懸かっている時計が写っていた。地上1.5m程度の壁上に線が引かれていて、その線の下は黒く変色している。地震津波が襲った跡だ。

 私は東日本大地震と福島第1原発事故の3ヶ月後である昨年6月に初めてそちらを訪ねた。 その場面は放送の‘心の時代’という番組で放映された。事故発生後10ヶ月、私が初めて訪問してから7ヶ月。多くの命を奪われたそちらはその時の廃虚そのままであり、壁の時計は変わることなく時刻を刻み続けていたのだ。

 昨年9月ハン・ホング教授から福島原発事故被災地域を現地調査したいので手伝って欲しいという要請がきて、同行したいというチョン・ジュハ氏を紹介された。 昨年11月、私は彼ら一行を案内して再び現地を歩いた。 初めて訪ねて行った6月は新緑がさわやかな初夏であり、2回目の11月は紅葉が真っ盛りだった。東北地方の自然は蠱惑的と言えるほど豊かだった。 チョン・ジュハ氏は今度は真冬の東北を撮りたいと言って今回もそこへ行ったのだ。彼が撮った作品は3月にソウルの平和博物館に展示され写真集としても刊行される予定だ。

 この写真展の主題を何にしようか。9月に会った時、ハン・ホング教授は一つのアイディアを提示した。李相和詩人の詩‘奪われた野にも春は来るのか’であった。 原発事故そのものの現場写真よりむしろ その周辺地域の自然を撮影しようということだ。 私は彼の意図を正しく理解したと思う。 センセーショナルな一過性の現場写真より、むしろ事故の意味に対する深い省察に導く作品が良いと私も考えた。 ところが一方で私は疑問も感じた。

 李相和は抵抗詩人だ。 1922年に日本に行った彼は翌年9月、関東大震災の時に恣行された朝鮮人虐殺を目撃して帰国した。 そのことが彼を抵抗詩人側に強力に導いたのだろうという話もある。‘奪われた野にも春は来るのか’は1926年の作だ。 当時朝鮮では日帝の‘産米増殖計画’に伴う収奪で多くの農民が根源を抜かれ流浪者になった。 私の祖父が日本に渡って行ったのは1928年だ。 その3世代後の人として私は日本で生まれた。在日朝鮮人の多くがそのようにして日本で生きることになった。李相和の詩は植民支配下の朝鮮人の心を歌った名詩であり、まさに在日朝鮮人の心を歌った詩だ。

 かつて朝鮮人の土地を奪ったのは日本帝国主義であった。 それと今 自国政府と企業によって土地を奪われた福島を同じ次元で話しても良いのだろうか? 植民地支配と原発災害を同一平面上に置くことにより、そうでなくとも植民地支配の責任に対する自覚のない日本国民に誤った認識を持たせるのではないか?

私はそのような疑問を抱いてもう一度その詩を読んでみた。

 “今は他人の土地 - 奪われた野にも春は来るのか?”という最初の一行。その後に続くのは、春の気配がはっきり感じられる田園を自然の美しさに憑かれたように歩く詩人の心象風景だ。 最後の行はこのように結ばれている。“しかし今は - 野を奪われ、春さえも奪われるのだね。”

 最初と最後の行がなければ、その中間の内容は一編のよく描かれた田園詩であるだけだ。まさにそのことにより、一層切実に、さらに深く、土地を奪われ根源すら抜かれることになった人々の喪失感、虚無感、悲哀、怒りを感じることができる。

 この詩で福島を表象することにはどんな意味があるだろうか? 私はそこに積極的な意味があるという考えるようになった。 “春は来るのか”という問いは“春は必ずくる”という根拠のない未来指向的標語ではない。 季節としての春は巡ってきて花が咲いたとしても、何かが決定的に損傷されたということ、“春さえ奪われるのだね”ということがこの詩の重要なポイントだ。

 日本政府と東京電力の説明でさえ原子炉廃棄までに40年という歳月がかかるという。その時まで放射能は広がり続けるだろう。 一方、汚染除去は技術的に困難で莫大な費用がかかる。 いっそ汚染された土地を放棄して移住を推進しなければならないという専門家の指摘もある。放射能被害は目に見えず臭いもしない。だが、それは未来の何世代にもかけて健康と生活に決定的な損傷を負わせ続けるだろう。 健康被害を確認できるのは今から数年後になるだろう。それが原子力発電所被害の本質だ。そうであれば‘併呑’されて100年が過ぎた現在も植民地支配による損傷が朝鮮民族全体の暮らしに決定的な影響を及ぼし続けている事実と共通点があると言える。

 福島と李相和の時を連結することは朝鮮の人々が福島の苦悩に対する想像力を発動するのに役立つ。 そして、それが日本国民が朝鮮の人々に加えた植民地支配の傷がどれほど深くその責任がどれほど重いかという想像力を発動する機会を提供するならば、李相和の詩をコンセプトとすることには問題がない。 日本政府は今、産業界の意向を受け入れ原発再稼働の機会を伺っている。 原子力マフィアの反撃は今後本格化するだろう。 日本国民は今土地を奪って春さえ奪おうとする自国権力と戦わなければならない時を迎えている。 李相和の詩が彼らにそういう自覚を触発するならば、そこから日本国民と朝鮮人の連帯に新しい局面が展開するかも知れない。 これが今の私の思いだ。 議論してはいないがハン・ホング教授も賛成してくれるのではないだろうか。

徐京植(ソ・ギョンシク)東京経済大教授

翻訳ハン・スンドン論説委員 sdhan@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/518322.html 訳J.S